2014年4月4日金曜日

「雑」が解放する(326asahi)

 展示室に並べられることなんて全く想定せずに作られた土俗的、民族的な造形物や雑貨を扱った展覧会が東京と静岡で開かれている。ともに実験性に富んだ試みで、見る者に「アートとは何か」と再考させる。
芸術?そうでなくても構わない

 目が飛び出した仮面があれば、鼻の穴の大きなものもある。色も形、大きさもばらば
らな仮面が約100点、壁にとりつけられて鑑賞者と向き合っている。
 重点・六本木の国立新美術館で69日まで開催中の「イメージの力」展は、こんな展示から始まる。長屋光枝・同館主任研究員は「通常なら作品を『見る』来館者が、『見られる』状態になる。いつもと違う展覧会だとまず体感してほしい」と話す。
 確かに、ひと昧違う展覧会だ。文化人類学者の青木保館長の肝いり企画で、大阪の国立民族学博物館が所蔵する世界各地の民族資料や生活用具約34万点から選ばれた約600点を展示。美術品として生み出されたものはぼとんどなく、作者も制作年もほぼ分からない。研究対象なら地域で分類しそうなところだが、今回は美術館らしく、できるだけ共通する造形的な普遍性を見いだすことを試みている。

来歴説明無し

 好例が「光」や「高さ」に着目したコーナー。時代や地域を超えて、造形物が集めら
れ、ギリシャとモロッコの衣装が隣り合わせに。造形を純粋に見てもらうために、作品
の来歴などの説明も展示室にはない。「この地域のこの表現がこう伝わるんだ」といっ
た文脈や物語を組み立てることができず、戸惑いを覚える向きもあるだろう。
一方で、展示室に並べると何でもアートに見えてしまう力学と背中合わせの企画でも
ある。それを自覚し、最後の展示室では、かごや網などを、あえてデュシャンや「も
の派」といった現代美術の表現を連想させるように展示し、美術館や現代美術という
文化的な「装置」の政治性も相対化している。
 長屋研究員は、「造形物を文脈や意味性から解放し、生活の中でイメージがどう用い
られてきたかを考えてもらえれば。イメージとは、人間の想像力が働いて生まれるもの
だから」と語った。

 切手も紙袋もこうした問題意識を、よりカジュアルに展開するのが、静岡県三島市の「大岡居ことば館」で61日まで開かれている「これっていいね 雑貨主義展」だ。
 画家の谷川晃一(76)が集めたインドやアフリカの布などの民族的な造形物から、かご
や陶器といった生活雑器、さらには切手やトランプ、現代のコーヒーショップの紙袋ま
で。あわせて谷川白身の作品も展示され、展示はさらに雑多。展覧会と同名の書籍も平
凡社から出版された。
 谷川は「分類すると近代の常識に収めてしまう事になるし、もっと軸足を暮らしに置きたい。展示すれば、芸術のように見えるかもしれないが、芸術であってもなくても構わない」と話す。
 とかく「これはアートか否か」を先にするのが近代芸術の世界。谷川が雑貨を集める
理由の一つは「(こうした)芸術病から解放されていたから」だという。
 そう、両展は既成の枠組みからの「解放」で通じている。 (編集委員・大西若人)

芸術?そうでなくても構わない

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