2013年9月12日木曜日

純度増す「どう描くか」(904asahi)

福田美蘭展
 
 何を、どう描くか。いや、どう措けるか。そこが、具象絵画のポイントの一つといえる。画家の福田美蘭(50)の場合、後者については何の心配もないだろう。1980年代後半のデビュー当時から、目の前の事物であれ、架空の存在であれ、どんなものでも実に達者にみずみずしく描く技量を見せてきた。
 だから作家自身も周囲も、「何を」に関心を抱きがちだったのではないか。90年代以降の代表作に新作を加えた約釦点の今回の展示を見れば、その関心は、おもに画面の外に注がれていると言っていい。
 ミレーや黒田清輝の名画を引用して、構図を変え、あるいは措かれた場面の前後を想像して再解釈を施す。安井曽太郎が画布に向かう姿を彼の画風さながらに仕上げた一枚など、その描写力、機知には驚く。一方で日常的な広告に着目したり、9・11に言及する社会性の強い作品を発表したり。常に絵画の枠を広げることに挑んできた。
 そんななかに、青く美しい富士山が、別撮りしたような楼の花のフレームの奥にたたずむ一枚がある=写真上。絵はがき的美意識をわざと強調したような表現だが、気がつけば、山頂が大きくえぐれている。タイトルは「噴火後の富士」。制作年は東日本大震災前の2005年だ。ここでも抜群の表現力で、人工的にしてのほほんとした美しさに、危機を潜ませている。同時に、時代を予知する表現者の感度に恐れ入る。
 震災後の新作群も多い。中では、例えば被災地の海底を生きるアサリを措いた作品などは、「何を」というテーマを離れても絵画として十分に魅力的だ。というより作者は、「どう描くか」を純粋に問う方向に臍み出しっつあるのではないか。そう強く思わせるのが、「風神雷神図」(13年)だ=同下。
 宗達画を元にしている点では従来の流れにあるが、その描写は、名画の「空間」や「感情」を福田なりの感度でどう受け止め、絵画としてどう表現するかに集中しているように映る。この純度の高い試みから、フランシス・ベーコンを思わせるねじれた身体と、脱構築的で流動感ある絵画空間が生まれている。
 作者の今後の方向性を考える上で、大切な作品になるに違いない。そんな予感すら抱かせる一枚だ。(編集委員・大西若人)
 ▽29日まで、東京・上野公園の東京都美術館。9、17、24日休み。

0 件のコメント:

コメントを投稿