2013年6月1日土曜日

美術批評が謎めく理由(529asahi)

モナ・リザの正体 西岡文彦

 ルーブル美術館で「モナ・リザ」の前に立つ人々の大半は、少なからぬ失望を味わうことになる。これほど謎めいた言葉で語られながら、実際に見た印象が、ここまでおだやかな絵は、他に例がないからである。
 じつは、この絵にまつわる謎めいたイメージの多くは、近代美術批評の原点とされる一編の論文に端を発している。英国の耽美主義を代表する作家ウォルター・ペイタ一による「モナ・リザ」評がそれで、絵のモデルを吸血鬼にも似た死の秘密を知る女性に見立てたこの文章が、英語美文の最高峰とされたことから、この絵を語る際にはなにやら謎めいた言葉を並べぬことには済まないような奇妙な風習が確立してしまったのだ。
 ところが、このペイターは、後代のベルギー周辺で描かれたと思われる作者不詳の、神話の怪物メデューサの奇怪な生首の絵=写真=をダピンチ作と誤解して絶賛。この種の怪奇絵画の巨匠の作として「モナ・リザ」を論じた結果、お門違いの吸血鬼詰まで持ち出してしまっている。おかげで、従来は絵画の理想を示す傑作とされていた「モナ・リザ」に、不気味な印象がつきまとうことになったのだ。
 この絵の謎めいたイメージの過半は、ペイターの誤解に基づいた近代批評の産物であったわけで、今なお美術批評が常人の理解を超えたむずかしげな言葉を好むのも、こうしたペイタ一流の伝統といえそうだ。(多摩美術大学教授)

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