2013年6月1日土曜日

詩的な「もう一つの世界」(522asahi)

「空想の建築   ピラネージから野又穫へ」展


 「空想の建築」なる言葉にはどこか詩的な響きがある。空想の衣服や料理では、こうはいかない。建築の堅牢なイメージと空想という重力を脱した用語の距離が速いためか。さらに家、学校、病院と人生の多くが建物で送られることを思えば、建築は「世界」の別称ともいえ、空想の建築は「もう一つの世界」や「異郷」の類いとなる。
 展示前半は、その系譜を主に1520世紀の版画でたどるが、見た目ではほとんど制作年代が類推できない。多くが古代遺跡など過去の建築を参照しているからだろう。無の状態から空想囲や未来像を措いても絵空事になるためか、過去を現在で折り返して夢想しているのだ。
 なかでは、18世紀イタリアのジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ。「古代ローマのアッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」=写真上=は、古代の廃虚をいくつも夢想し、連ね重ねている。さながら「空想建築博物館」の趣だ。
 展示はここに、エッシャー的空間を小箱内に作るコイズミアヤら日本の現役作家を加える。特に野又穫の絵画を35点集め、展示後半はまるで個展。彼が描く朝日新聞の「ザ・コラム」欄の挿絵原画展まで同時開催されている(画集は青幻舎から)。
 石造から、帆船や温室のような建物まで、四半世紀を超える野又の空想の建築も、遺跡や廃虚のイメージに連なるが、実に詩情豊か。精妙な筆致とさめた色調が、建築がたたずむ場の空気も描き出し、ゆったりと空に溶ける雲が画面に風を吹かせる。人の要はなく、日常を超えた形而上学的な時が流れる。
 現実の建築が破壊し尽くされた東日本大震災の後、絵に集中できなかったという野又はその後、抽象化させた建築なども描き、今回、ピラネージを意識した最新作3点を見せている。
 例えば「波の花(未完)」=同下=は意外にも、東京・渋谷の夜景という具体的な場所、時間を思わせる。光り輝く街はかりそめの繁栄への批評なのか。一方で、携帯電話でのつぶやきを思わせる無数の光の粒が歩道などにあふれ、小さな「生」のいとおしさも浮上する。
 過去の建築からではなく、まずはこの現在の姿から描き出したい。そんな思いが浮かび上がる。  (編集委員・大西若人)
 ▽616日まで、東京都町田市原町田の市立国際版画美術館。月曜休館。図録はエクスナレッジから。

0 件のコメント:

コメントを投稿