2013年1月17日木曜日

「この世界と わたしのどこか」展(116asahi)

遠くから、近づきながら

 この展覧会の英文名を訳すと「私とこの世界の間のどこか」となる。私と世界の間のどこに視点を置くのか、がテーマなのだろう。1970年代生まれの女性5人の写真表現にまず感じるのは、世界との「速さ」だ。
 端的なのが、笹岡啓子が撮る釣り人の姿。うんと遠くから人影をとらえ、点に近いものも。しかしその点景たる釣り人は、海面や足元の岩場、つまり地球や世界の表面を見つめている。それを遠くから見つめる作者。この入れ子構造に、慎重に世界を読もうとする気配が浮かぷ。
 田口和奈の作品は白黒の女性のアップ。なのに遺さを感じるのは暗く焦点があいまいだからだろう。さらに、雑誌に載った女性の写真をリアルに措き、それを再度写真に撮るという敵患な手法がにじみ出るからか。
 大塚千野の連作は母と娘の写真に見えるが、実は子供時代の自身の写真に、現在の要を滑り込ませた合成なのだ(写真上は「1976and2005、一Kamakura、Japan」、05年)。現在の自己と世界を確認するのに、時間的な速さを使っているのか。そして蔵真墨のスナップ写真も対象と距離をとっている。
 この感覚は、別の階で同時開催中の「記録は可能か。」展の一部にも見てとれる。小川紳介が三重塚闘争を撮った70年の映像の隣で流れる、ドイツのニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニの映像作品「成田フィールド・トリップ」 (10年)。東京から成田空港周辺にやってきたカップルが闘争の歴史を知るのだが、その淡々とした日常に小川の闘争への肉薄ぶりとは対照的な距離感が浮上する。
 「この世界」廣が示すのは、不安と不安定が定着したような現代に対し、強烈な変革や過去の輝きの回復を求めることでは・なく、遠くからみつめながら距離を締めてゆく価値だろう。
「速さの力」といってもいい。 言論を巡って何かと話題の多い中国を生きる、もとの姿は男性でも心は女性の人々を追う菊地智子の写真が示唆に富む。数年前までは社会から遠ざけられていた彼女たちが、今や人目につく場所で化粧している(同下は「農家で化粧をするパンドラとララ、四川省」、11年)。
 速さの力で、世界は少しずつ変わってきているのだ、たぶん。(編集委貞・大西若人)
 ▽27日まで、東京都写真美術館。月曜休館。

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