2012年9月20日木曜日

「最悪の修復」に前例(912asahi)

キリスト画騒動に思う
堀越千秋(画家)

 スペイン北東部の町、ボルハの教会の壁画が「修復」されて、キリストがお猿さんみたいになってしまった。修復したのは、町の80代のおばあさんという。
 元の絵は、壁の低い所に恐らくフレスコか油絵で直接描かれた、19世紀末の小さなキリスト胸像だ。確かな腕のプロの画家によるものだが、上から油絵の具あるいはアクリル絵の具によって描かれてしまったようだ。もう元には戻るまい。一般的には、修復なら、ハゲ落ちた部分だけを注意深く加筆する。「これが『画家』のやり方よ」とおばあさんは息巻いたというが、そもそも修復を画家に任せてはいけないのだ。
 しかし、ことスペインという国に限っては、彼女がとがめられる筋合いはない。町の司祭は、恐らく町で唯一の「画家」に修復を依頼したのだろう。水道が壊れたら水道屋を呼ぶのと、同じような気軽さで。
 他人の絵を直すより、自分の絵が描きたい。それがスペイン人の性分だ。かの地に長く暮らしている僕も昔、壁画の修復を引き受けて冷や汗をかいたことがある。元の絵に戻るどころか、どんどん自分の絵になってしまうのだ。困った。
 この「事件」で、僕はマドリードのプラド美術館のことを思い出した。
 1992年のバルセロナ五輪とセビリア万博に合わせて、「名画をきれいに」キャンペーンが始まった。原画の状態に合わせて1枚ずつ行われるべきなのに、粗雑、拙速な技術で表面の古びたニスをはがすから、画家が心血注いで施した色ニスも一緒にはいでしまう。空間は狂い、遠くの白雲が事前に出てくる。精密に描かれているがゆえのベラスケスの深刻な美は消え、白襟は絵の具のナマの白になり、王女の手はスルメ、王様の足は3本に見える。
 オランダならレンブラント1点に30年かけるところ、プラドは20年で全館の大半を仕上げてし一挙つ。しかし、プラドには権威があるから、ボルハの件ぼど大きく騒がれることはない。「世界最悪の修復」は、実は世界に冠たるプラドの方にあるのではないか。
 修復は、現代の音楽家が昔の作曲家の作品を解釈して演奏する行為に似ている。一つひとつのタッチに宿る思いをくみ、守り、未来へとつなぐのは、科学的で、創造的で、尊敬されるべき仕事なのだ。

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