2012年4月26日木曜日

無限世界全身で味わう(425asahi)

「草間弥生 永遠の永遠の永遠」展
ある表現を評することば、歴史の中に位置づけるということでもある。水玉や編み目の繰り返しで知られ、熱い支持を受ける草間蒲生(83)の場合は、その反復性などからミニマルアートやポップアートとの関係で蘇られてきた。もちろん間違いではないが、今展の内容がそこにとどまらないこともまた、間違いない。
 大阪で20万人以上が見た近作・新作展。おなじみカボチャの立休もあるが、見どころは2009年から手がける絵画の連作「わが永遠の魂」の約50点だろう。赤、青、ピンク、黄といった鮮やかな色彩で、水玉だけでなく、ギザギザくねくねしたアメーバのような有機形や目玉、人の横顔などが、大画面に密集して描き出される=写暮上。
 離れて見れば、それらの濃淡とうごめきがうねりとなり、画面の外に、縦、横、四方へと広がっていく。草間が言う無限の世界か。とりわけ四周にくさび形の文様を回したタイプには、その無限世界を意識的に切り取った感がある。時に緊張感すら漂う完成度の大画面がずらり並ぶさまは、壮観ともいえる。
 戦後米国のモダニズム絵画の平面性にも通じるが、それらが抽象的表現によっていたのに対し、草間は、抽象的な要素も、土俗的、童画的ですらある具象的な要素も、等価に扱い、描き連ねている。しかも近づいて見れば、意外にラフな筆致で即興的=同下(「果てしない人間の一生」の一部)。幼時から水玉
などの幻覚に悩んできた作者にとって、体からわき出るモチーフを描いたということか。
 平面性と具象性、完成度と即興性やある種の稚気といった、相反しそうな要素が両立する不思議。精神的な図像を重ねて無限性に到達したとなれば、何やらマンダラを連想させもする。
 壁を多く立てた展示に、迷宮を巡りながら大画面に抱かれる感覚を味わう。04~07年の黒一色のドローイング50点が一室に集まっているのも、そこで色彩を得たものが「わが永遠の魂」の連作となって伸びやかに広がったようにも思わせる。
 美術史的な分類も、表現要素の相反も、さらには美術の枠もおかまいなく超えてゆく。そんな才能を全身で味わえる空間がある。 (編集委員・大西若人)
 ▽5月20日まで、さいたま市の埼玉県立近代美術館。長野県松本市、新潟市に巡回。

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