2012年3月3日土曜日

Pina/ピナ・バウシュ(302asahi)

踊り続けるいのち  動きこそがスペクタクル

 ヴィム・ヴュンダースとピナ・バウシュ。1970年代以降、映画とダンスそれぞれの領域で世界的な影響力を持ったドイツの同世代の文化英雄が、スクリーン上で夢の共演を果たす。撮影直前に死去した振付家の「不在」を改めて印象づける本作だが、悲しげな服喪に終始するどころか、見る者を快活な古びへと導いてくれる。国際色豊かなダンサーらが各々の書斎やトーンで斎る思い出、そして彼らによる驚異的なダンス……それらの端々に今もピナが息づくことを実感せしめるのだ。演出家は不在 をもって作品を完成させる存在なのだろう。
 では、映画の演出家はピナと仲間たちの偉業にどんな照明を当てるのか。様々なショットサイズやアングルを駆使することでダンスの映画化を図ることばもちろん、ダンサーの足元に広がる床面を強調する3Dカメラが、2次元に収まらない奥行きや重層性を視光化する。さらに本作にあってはカメラも踊るだろう。劇場からモノレールが行き交う街中へと飛び出し、ミュージカル映画のように優雅に、スラップスティック喜劇のように鹿々しく。まるでカメラの動きの振り付けこそが、映画作家の使命であるかのように…・。
 ピナのダンスは、古典バレエの美学から遠く離れ、動くことへの人間の原初的な欲望、それに伴う喜びや苦悩に立ち戻る。先鋭的な試みが同時に根源的な回帰となる証しであり、同様の試みが映画作家の側でも遂行されたと見るべきだ。19世紀末に映画は初の本格的な「動く映像」 として誕生し、初期映画の観客にとって人間の何げない動きこそが最大のスペクタクルだった。そんな映画の原初的な記憶に立ち戻ることで、本作は新驚3D技術の真の意味での黎明をも告げることに成功した。
   (北小路隆志・映画評論家)
 各地で順次、公開中。

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