2012年1月22日日曜日

恋する原発(122asahi)

正しさへの強迫観念
 解毒するエロスの力




高橋源一郎(著)
講談社・1680円/たかはし・げんいちろう 51年生まれ。作家。『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作、『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤重文学賞を受賞。

本書が文芸誌に一挙掲載された時、あまりのスピードに驚かされた。「あの日」から半年も経たずに震災をテーマとした小説が善かれるとはー・作家のインタビューを読んでその謎が解けた。
本作は、かつて作家が9・11に触発されて書いた未完の小説『メイキングオブ同時多発エロ』にもとづいている。どうしても完成できなかったその小説が、3・11以後に突然書けるようになったのだ。そう、本書はいわば「ずっと完成を待っていた」小説なのである。
震災被害者のチャリティーのためにアダルトヴィデオを制作しようとする監督、イシカワ。彼が『恋する原発』の主な語り手だ。そのせいかどうか、この小説の八
潮方は、次のような記述で満たされている。
「『入レテヨ』/もちろん、部屋に入れてくれといってるわけじゃない。もっとずっと、手に負えないものを入れろとアンジェリーナ・ジョリーはいってるわけだ。入れるべきなのかなあ。でも、なんだか話がうますぎる」
残念ながら、引用はこれくらいが精いっぱいだ。なにしろ新聞に掲載できない猥雑な単語が満載なのだから。ほかにもメタフィクション、漫画的手法、批評理論な
ど、作家のあらん限りの技巧が「ブリコラージュ」的に動員される。不謹慎との意見もあろう。しかしこれはどまでに真率な"不謹慎″を、私はみたことがない。
小説の後半、唐突にシリアスな「震災文学論」が挿入される。その冒頭で、作家はある著名人が3・11について述べた言葉を引用する。「ばくはこの日をずっと待っていたんだ」と。被災地の復興にも死者の追悼にも積極的にかかわった彼が、服喪の前に「待っていた」と告げること。その意味について作家は考える。「この日」とは、震災によって、この国の申でながいあいだ隠されていたものが顕れた日のことだ。
その意味で3・11は、まったく新しい出来事ではない。「おそらく、『震災』はいたるところで起こっていたのだ。わたしたちは、そのことにずっと気づいていなかっただけ」なのだから。ここから作家の思索は、われわれの文明と、それが生み出す「未来の死者」との関係に及ぶ。
すでに震災や原発を巡って、私たちは「唯一の正しさ」という強迫観念にとらわれつつある。こうした強迫観念を強力に解毒してくれるのがエロスだ。それが作家のたくら企みであるかはわからない。しかしこうした意匠ゆえに、私は本作を二度読んだ。一度目に聞いた哄笑が、二度目には無声の慟哭に変わる思いがした。このような形で示される“希望″を、私たちは確かにずっと待っていた。
(評) 斎藤 環 精神科医

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