2012年1月21日土曜日

野口里佳展/ 安田佐智種展(118asahi)

世界と向き合う視線

大づかみに言えば、作品には作者の世界観が表れる。とりわけ、一つの穴を通して世界と向き合う写真に当てはまる。そんな風に思わせる同世代の女性作家2人の個展が開かれている。
赤茶け、乾いた大地。大画面には、そこを横切った人とバスの残像が浮かぷ。カルティエプレッソン風にいえば、まさに「逃げ去るイメージ」だ。
野口里佳(40)の新作や近作約40点による個展は、「無題(ムバララ)」 (2006年)=写真上=で始まる。
ピンホールカメラでとらえたゆえの残像であり、周囲ほど画像はぼけてゆく。しかしこの感触は、記憶や夢の映像に似てはいないか。デジタル写真時代にあって、リアルとは何か、世界のの気配を捉えるとはどういうことか、ピンホール以外の作品にも、ガラス瓶の質感に迫ろうとしたものなど、レンズを通した思索が続く。風景写真でも、大きな空、広い大地に、人がたたずんだり、羊が数匹走ったりする棟を遠くからとらえる。風景から何かを抽出するのではなく、全体をとらえようとする。だから見る者と視線が共有される。
 安田佐智種(43)の12点による個展も、撮影の位置について考えさせる。超高層ビルの上から撮った数百枚の写真を合成し、周囲の摩天楼の高さを極端に強調した作品を手がけてきたが、新作群では360度見回したような光景を見せている。中心の白い四角が立ち位置となり、「Aerial#2−2」 (11年)=同下=では、東京タワーが白く抜ける。「垂展タワーからのパノラマか」と納得してしまいそうだが、中央のビルが小さく、離れたビルほど大きい。つまり、逆遠近。山々が四方に開かれた古地図にも似る。
ある視点から見渡す西欧近代の透視図法的世界観ではなく、見る者が画面の中にいる前近代的、あるいは東洋的な世界観。それが、資本の欲望を体現する摩天楼の現代的で鋭利な画像と共存している様が心地よい。
どんなに高精細な写真が撮れるようになっても、世界との向き合い方への模索は終わらないのだ。 (編集委員・大西若人)
▽野口展は3月4日まで、静岡県長泉町東野クレマチスの丘のlZU PHOTO MUSEUM。水曜休館。安田展は2月29日まで、日本橋茅場町1の1の6のベイスギャラリー。日曜・祝日休み。

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