2011年6月19日日曜日

悲劇の中見極めた美(608asahi)

「ジョセフ・クーデルカプラハ1968」展

画面に力熱い空気撮る



 ドキュメンタリー写真とは、つまり記録写真。しかし単なる記録を超え、見る者の胸に迫ることがある。東京都写真美術館の「ジョセフ・クーデルカ
 プラハ1968」に並ぶ一群はその典型だろう。写っているのは68年のプラハ侵攻の姿。いやそれ以上に、現場と時代の空気を伝える画面の力が見どころだ。
 大通りを進む戦車、抗議する若者、不安げに見つめる人々。チェコスロバキア(当時)の首都プラハで、68年8月に起きたことが、強いコントラストで画面に定着している。
 言論の自由や市場経済を導入し始めたチェコの「プラハの春」を打ち破るように、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍が侵攻した事件。その現場で、写真家のジョセフ・クーデルカさん(38年生まれ)が、一気に撮り上げたものだ。
 「私は30歳で、クレージーだった。何より、あまりの状況に、強くわき上がってくるものがあった」
 協力者によって写真は米国に渡り、翌年全世界に配信されるが、撮影者は匿名だった。クーデルカさんと家族の身の安全を守るためだ。匿名のままロバート・キャパ掌を受賞。実名が公表されたのは84年のことだった。展示室に立つと、写真が目に突き刺さってくる。圧倒的な強さと構成力。本来は風景やロマ族をテーマにする写真家だが、「自分が素晴らしいと思うものを題材にしてきた。この時も、い
ざとなればこのように振る舞える自国を誇りに思った」と話し、こう続けた。
 「見極める目を持った写真家なら、どんな場所でも美は見いだせる。悲劇の中においてこその美もある。ただ記録を残すのではなく、そこから立ち上がる空気を伝えようとしている」
 写真は独学で、航空技術者の傍らデザイン誌に親しんだ経験が生きているとされる。とりわけ、伸びる街路や砲身、人々の身ぶりやまなざしに「力」の方向性を見いだし、画面を作る力には驚くぼかない。
 東京都写真美術館の丹羽晴美・学芸員は「ジャーナリストではなく、市民と同じ立場で撮った」と話す。
 本人も、「アート系、報道系といった区別は意味がない。写真はあくまでも写真。私は、ジャーナリズムを追求しすぎて一つのメッセージに陥ることを危険視します」と話す。
 最も有名な、腕時計越しに人のいない通りを撮った写真は「シュールレアリスム的」という評価も得たという。こうした奥深さ、確かな伝達力で、晴代を超えた普遍性を獲得している。
 「写真には2通りしかない。いい写真か、面白くない写真か。いい写真は頭から離れず、忘れられない」
 今回の約170点がどちらに属するのかは、いうまでもない。
     (編集委員・大西若人)
 ▽7月18日まで。最終日を除く月隠休館。平凡社から写真集も。

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