2011年5月29日日曜日

高3・寺山修司の手紙見つかる(528asahi)

「俳句革命運動」仲間に呼びかけ


 「俳句革命運動を」寺山修司(1935~83)が高校生時代、仲間に向けて呼びかけていた手紙が見つかった。俳句は、多彩な表現活動で先鋭的な創作を手がけた寺山が最初に頭角を現した分野。見つかった手紙は、寺山が10代に向けた伝説的な俳句同人誌「牧羊神」を創刊する直前に出されたものだった。
 寺山は青森高校3年だった54年2月に「牧羊神」を創刊した。その前年末、創刊同人の一人に「俳句革命」を誘う手紙を出していた。
 「来年は小生と大いに青春俳句のためにあばれましょう」 「俳句革命運動を説き同志を獲得して欲しい」 「最初にイズム(主義)の確立が必要」 「十代の芸術派を押立てる」など、7枚にわたる。消印は53年12月31日。
 手紙の宛先は、俳人の故・松井牧歌が沫名・寿男)。受験雑誌「学燈」に二人の俳句が掲載されたことをきっかけに文通を始めた。最初の書簡は53年8月。寺山は、早大に進学した翌54年には、月に何通も送り、東京で就職していた牧歌を句会に誘っている。
 寺山と同じ年に生まれた牧歌は2007年、寺山との交流を執筆途中に亡くなった。
牧歌の遺稿を本にまとめる申で、寺山が送った30通の書簡が見つかった。それと一緒に、∵寺山が作った「牧羊神」結成時のメモも出てきた。「文責 寺山」とあるガリ版のメモは、「毎月100円の同人費で発行費用にあてる」「会員は毎月30円で雑詠欄に
投句できる」など具体的だ。
 メモの「同人」欄には、青森高校の同級生で寺山と俳句の好敵手だった京武郎発さん
を筆頭に松井寿男、寺山修司の順に名前が並ぶ。京武さんは「大阪の富田林高校にい松井さんは、当時の高校生俳人の中で目立っていた。だから寺山も熱心に誘ったのか」
と語る。
 寺山は54年11月、「短歌研究」誌の新人賞を受賞。まもなくネフローゼを発病し入院、この頃から文通は間遠になった。20代になった寺山の関心は演劇などに移り、56年には「俳句絶縁宣言」をする。
 寺山は83年に47歳で死去。亡くなる年にかつての俳句仲間と新たな同人誌「雷帝」を企画したが、寺山が生きている間に出版はできなかった。企画にかかわった俳人の斎藤慣爾さんは「人生最後の表現として、出発点の俳句を選んだ」と語る。
 斎藤さんは今回見つかった手紙について、「牧羊神すら散逸している現在、看き寺山
の考えが丁寧にわかる貴重な資料だ」と話している。
 牧歌の遺稿集は今年夏に朝日新聞出版から出版される予定だ。  (宇佐美貴子)

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