2010年10月5日火曜日

「まねぶ」から美術家へ(102asahi)

森村泰昌さん、習作を書籍化



 美術家の森村泰昌さんは今年、趣向の異なる二つの個展を開いた。一つは、20世紀の著名人に扮した「なにものかへのレクイエム」。世界に知られるセルフポートレートシリーズの回顧展だ。もう一つは、自身の無名時代の習作を、影響を受けた美術作品と並べて展示した「まねぶ美術史」。森村さんは展示内容を書籍化することにこだわった。そのわけは。(浜田奈美)

「デッサンを見てほしい。(略)高校1年D組だった私が描いたはじめての石膏デッサンだ。もののみごとにへたくそだと思わないか」
 これは『まねぶ美術史』(赤々舎)=写暮=の冒頭に森村さんが著した言葉だ。文の横には石膏像のデッサン。1967年、少年時代の作品である。 ページをめくると、青ペンによる抽象画がワシリー・カンディンスキーの作品「小さな世界IX」(1922年)と並んで掲載され、さらに鉛筆で描かれた抽象画がパウル・クレーの作品「綱渡り」(23年)と並んで掲載されている。
 これらは今夏、高松市美術館で開催され、来年以降に広島県福山市や岩手県などに巡回する同名の個展の内容そのままだ。森村さんの過去の習作や未公開作品と美術館のコレクション計約120点を展示した。ちなみに「まねぶ」は「まねる」 「まなぶ」の語源となった言葉である。
 「肖像(ファン・ゴッホ)」(85年)を発表し、擬態する美術家モリムラとして飛躍する以前の個人史の数々。「お茶屋の息子の僕には芸術的な環境が何もなかった。例えば本を開いたときとかにぼつんと情報が入ってきて、そのたびにFこんなもんがあるのか』と驚いて自分のオリジナリティーを追求した」
 数千点におよぶ習作のほとんどを、森村さんは自宅に保管していた。それらを「気になってちらちらと眺めていた」ところから、「まねぷ美術史」を思い付いた。「当時の表現との出会いとか衝撃は、非常に純粋なものでした。最近、あの衝撃がとても大事に思えてきたんです。試行錯誤しながら一巡して、原点に戻った感覚ですね」
 芸術のプロジェクト化が進み、大がかりになったことも気がかりだった。「僕の『レクイエム』も結構な規模。ただその一方で、表現は本来的には個人的なものなんやけど、といういもあって」 書籍化はそんな思いの結晶でもある。だから40余年前のデッサンを表紙に載せた。「間違いなく美大落ちるでという、へたくそな絵です。僕はそんな出発をしたわけで、そこから出発できるということでもある」

0 件のコメント:

コメントを投稿