2010年6月19日土曜日

時代映した骨太な「写実」(616asahi)



稲垣考二展
 現代の「写実」絵画の一到達点を見る。「稲垣考二展」は、そんな気にさせる骨太な回顧展だ。1952年生まれの稲垣は、精密な描写と幻想性を兼ね備えた作風に定評がある画家。その受験生時代、71年の群暫アッサンから近年の大作まで、48点で構成した。
 優れた描写力の一端は、「大顔面」 (92年)=写真上=などに喬められる。縦96センチの紙に鉛筆で措いた女性の顔。等身大の数倍に拡大しても不自然を感じさせない力がそれだ。
 だが今展の副題は、自ら名づけた「表面描写からタブローヘ」。タブローとは、素描に対する完成された絵画といった意味。単に表面を追うのでなく、構築性のある深化した絵画世界へ、と白身の軌跡を振り返っているわけだ。
          
 深化のひとつは「錯綜」。一貫して裸婦を中心に措くが、鏡に映る像を配置したり、鏡が割れて飛び散る破片や、その鏡面に映る像を入れたり。水滴のつくガラス越しに人体を浮かばせもするなど手がこんでいる。すべての存在がいかに不確かであることか、多様な視点で見られることかを、迷彩を施すように示している。もうひとつは、「時間の櫛礁」。1人の女性が老いていくまでの諸相を一画面に並べたり、ある室内で次々に起こったできごとを一画面中に並べたりする。
 それらの集大成が「仕事場」(01~07年)=同下。横11・83メートルの超大作で、大小の顔、人体、ガラス片、水滴が混在し、鏡像やゆがんだ像が重なり合う。中央部の左には自画像。複雑な、重層的虚空間を作り上げたバ最近作の「観衆」は、おびただしい数の顔を措
く異様な群像表現。さらに大きな作品になる構想の約6分の1でしかないという。まだ増殖中だ。
 これらの油絵は、前もって画面にはけを立てて微細な凹凸をつくり、凹部に絵の具を埋めていく点描画法。全体として、60年代以後の一潮流となったウィーン幻想派からの吸収の跡が見えるが、同派の得意とした意識下世界の魔術的表現より「リアル」に見える。
 裸婦群はエロチックで「生」があふれるけれど、その女性たちのまなざしはどこかうつろ。そこに作者の時代解釈が反映しているだろう。あえて「写実」絵画といいたい理由である。 (田中三蔵)
 ◇29日まで、静岡県伊垂巾十足の池田20世紀美術館。水曜休み。

0 件のコメント:

コメントを投稿