2010年6月2日水曜日

大野一雄さん死去(602asahi)



舞踏の草分け・国内外にブーム

 顔を白塗りにし、大地に根ざした生命力を感じさせる豊かな身体表現で、ダンス界にとどまらぬ言UTOH(舞踏)」ブームを国内外に巻き起こした最年長の舞踏家、大野一雄(おおの・かずお)さんが1日午後4時38分、呼吸不全のため横浜市内の病院で死去した。103歳だった。
葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。
 1906年、北海道・函館生まれ。日本体育会体操学校(現在の日本体育大学)卒業後、日本のモダンダンスの創始者、石井漠の舞踊研究所に入る。鹿浜市内の私立学校で体育教師をするかたわら、モダンダンスの江口隆哉らに学ぶ。38年から中国、ニューギニアに足かけ8年従軍。幼い頃に妹を事故で亡くした体験なども重なり、宇宙と生命のかかわりに考察を深め、生きとし生けるものに思いを寄せるようになる。
 49年に初単独公演。舞踏の創始者土方巽と54年ごろ知り合い舞踏に傾倒、三島由紀夫や渋沢龍彦ら文学者をも強く刺激する存在になる。77年に発表した代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」は、白塗りの女装姿につばの広い帽子をかぶって踊る独特の姿が欧米の舞踊シーーンに大きな衝撃を与えた。…
 その後「死海」「睡蓮(すいれん)」「花鳥風月」などを次々発表。肉体を強引に変形させ、地と一体化し、空気をも動かすような表現を追究した。その魂は、勅使川原三郎や山海塾など「BUTQH」で世界を席巻する後進の礎になった。
 80年にフランス・ナンシー演劇祭に参加して以来、毎年のように海外で公演。舞踏界の現役最年長ダンサーとして活動を続け、94年から「大野一雄全作品上演計画」を始めた。91歳になった98年には、盟友土方の十三回忌で「わたしのお母さん」を上演。同年6月には能の観世栄夫と「老い」と「救済」をテーマにした舞台「無」で共演し、衰えぬ表現意欲をみせた。主演映画に「0氏の肖像」、著書に「大野一雄 稽古(けいこ)の言葉」など。舞踊批評家協会賞ほか、2002年に朝日舞台芸術賞特別賞受賞。舞踏の出現を世に告げた土方の公演「禁色」(59年)で、土方と共演した舞踏家・大野慶人民は次男。

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