2010年5月26日水曜日

シカゴの空の下で(526asahi)



 シカゴに暮らしていた20年前、夏になると夫とともに、中西部の穀倉地帯コーンベルトをドライブした。見渡す限りのとうもろこし畑に、サイロが点在する景色が延々と続く。
 蒼い空に浮かぶ白い雲、遠方から近づいてくる雨雲、稲妻が光り始めるや、音をたて落ちてくる大粒のヒョウ。目前で展開する空の変化に見飽きることはなかった。
 ヘンリー・ダーガーの絵を初めて見た時、その天候描写へのこだわりが印象的だった。縦横に広がる雲や、地面にたたきつけられて弾け飛ぶ雨粒などが執紛に描かれていた。後から知ったのだが、彼は10年間にわたり「天気記録」をつけ、天気予報と実際の天気を比較するほどの天気フェチだった。テレビもネットも無い時代、気象現象は自然のスペクタクルだったのだろう。生前のダーガーを知る数少ない人のひとり、大家のラーナーさんによれば、彼は天気のことしか話さなかったそうだ。
 ダーガーは1892年シカゴに生まれた。幼くして両親と死別すると、孤独な生涯を送った。親類も友人もなく、1973年に亡くなった後、暮らしていた部屋には膨大な書き物と絵がのこされた。書き物の一つは「非現実の王国で」という題の15巻、1万5千ぺーじを超える小説だった。7人の美少女「ヴィヴィアン・ガールズ」が、子供を奴隷として虐待する残虐な男たちと闘いを繰り広げる奇妙奇天烈な冒険活劇。そしてこの物語を図解するために、雑誌や新聞から切り抜いた挿絵や写真を張り付けたり転写したりして、長さ3メートル超のパノラマ画を作り出した=写真は「ジェニー・リッチ一にて(部分)」。
 薄幸な少年は周囲とうまく人間関係を結ぶことができず、自らの空想に閉じこもる。やがてそのファンタジーを記録することが生きる目的となり、彼が描いた雲のように拡大し続けた。最後には現実と虚構が逆転し、「非現実の王国」に生きた。その架空世界で、シカゴの気候は奇妙なリアリティーを保っている。

小出由紀子さん(キュレーター)

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