2010年4月28日水曜日

言葉をかたちにとどめる(4月asahi引用)

福田尚代さん(42)美術家
 かたちにならない言葉を、文筆家ならぬ美術家は、いかにこの世にとどめるだろう。言葉や書物をテーマに制作する現代美術家として、その一つのありようを「アーティスト・ファイル2010」展(国立新美術館、5月5日まで)
で見せている。
                  
 文字に沿い、小さな粒々の刺繍を丹念にほどこした手紙や名刺。文庫本の側面を彫刻刀で彫り、羅漢に見立てたオブジェ。長い年月を経て古書の表紙がうっすらと転写したグラシン紙のカバー。言葉が消えそうで、見えなくなるほどに、その痕跡は際だつ。遠い記憶を呼びさますような作品だ。一室とはいえ、国立の美術館での展示は初めて。「言葉と静けさに満ちた空間をつくろうと思った」という。幼い頃から夢中で本を読み、「言葉という不思議な存在」を思い続けてきた。東京芸大で油絵を学び、言葉を視覚的に表現しようと思い定めた。
 同じ頃に、回文を本格的に始めた。回文集を出版するほどで、今展でも披露する。例えばこんなふう。
 つまりは不滅
 泡と霜 使徒は集め
 ふわり待つ
 不思議と、はかなさや悲しみをたたえた文章が生まれる。「回文になると、私の浅はかな意識の制御から放たれて、言葉が言葉になろうと自律する気がします」
 集中して書くこともあれば、夜中にはっと目覚めて書きっけることも。「回文から、なぜいろんな景色が見えるのか。言葉の不思議さに心をうたれる」。言霊を招き寄せるのか、その逆か。
 美術作品と回文の制作を通じて「言葉には命がある。人間がつくったのではなく、もともと自然のなかにある」と思う。光や葉っぱや、水の粒にも言葉は満ちているのだと。     (小川雪)

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