2010年4月28日水曜日

マンガ・アニメの性描写規制(409asahi引用)

 子どもが目にするマンガやアニメの性描写は、どこまでなら許される? 東京都が進めている青少年健全育成条例の改正【※】をめぐる論議は、今も続いている。「非実在青少年」と定義された登場人物の性行為は、子どもに害を与えるのか。どうすれば、子どもはまっとうに育つのだろうか。    (聞き手・鈴木繁)
 【※】東京都青少年健全育成条例改正案 マンガやアニメ、ゲームなどに登場する、18歳末満と判断される架空キャラクターの性描写を規制する。ランドセルを持つなど18歳末満と思われる登場人物を新語の「非実在青少年」と定義。反社会的な性行為を描写した作品は、18歳末満への販売を禁じる。都議会で民主党などが同意せず、継続審議に。

・現状に問題はないのか
・表現が窮屈になるか
・規制が独り歩きしないか


明らかなポルノ見せていいか
 
     日本ユニセフ協会大使・歌手
        アグネス・チャンさん

 まず押さえておいてほしいのは、東京都は1964年から「不健全図書」の規制を始めていること。マンガやアニメなどの姿を借りたポルノの制限はずっと前からあるのです。しかも今回の改正案は、18歳未満の子どもとの性行為や残虐行為を正当化する作品を、作ったり、描いたり、売ったりしてはいけないと言っているのではありません。ただ、18歳未満の子どもたちの手に渡らないようにしようとしているだけです。
 ですから、それは、「表現の自由」の侵害につながるような話ではありません。私も表現者ですから、表現の自由の大切さは身にしみています。「何も措けなくなるのでは」と心配する方もいますが、過敏すぎる反応ではないでしょうか。
 「しずかちゃんのシャワーのシーンがあるから、ドラえもんも読めなくなる」と心配する方がいますが、あり得ません。条文を読めば、子どもに有害なものだけを問題にしていることは分かると思います。
 明らかに子どもと思われるキャラクターが、繰り返し性行為をさせられ、性的な虐待を受けている。しかも、それをうれしがる。そんなマンガが、コンビニや有名書店に、かわいい表紙をつけられて並んでいる。こういう状況を放置していていいのか、と皆さんに問いたいのです。
 マンガやアニメは現代日本が誇る文化であり、産業であることに、私も異論はありません。でも、その中に、ひどい「ロリコン」マンガなどが交じっており、しかも、現在の条例の中では成人指定ができない。
 子どもの性虐待を描いたポルノは、インターネット経由で世界中に広がっていて、国外からも非難の目が向けられています。アメリカやカナダなどでは、マンガやアニメであっても、子どもの性虐待を描写したものは、国の法律で規制されています。日本が「ロリコン」大国の汚名
を着せられてはたまりません。
 子どもの性虐待を描いたポルノを、子どもが見てしまうことで起こる問題は、大きく二つあります。ひとつは、子どもが性的に搾取されている場面を露骨に描いた表現は、子どもという存在全体をおとしめることになる。これは広い意味での人権侵害です。もうひとつは、それを見た子どもが、虐待や暴力を受け入れなくてはいけない、喜ばなくてはいけないと思いこむ、誤ったしつけ効果を招く恐れがある点です。
 「子どもの性虐待を描いたポルノが、教育に悪影響を与えるという根拠はあるのか」との主張がありますが、無いとは言い切れない。少なくとも、兄妹がひたすらセックスしたり、性的な虐待を受けたりしているマンガを、教育上いい効果が期待できるから進んで子どもに見せたいと思う親はいないと思います。
 こういうものが「表現の自由」という美しい言葉で守られるべきものでしょうか。
出版業界の一部には、「成人指定され『成人コーナー』に置かれると、売れなくなるから困る」という声があると聞きます。もっと売りたもうい、儲けたい。そうした一部の大人のエゴで、子どもの手の届くところに子どもの性虐待を描いたポルノが置かれてしまっているのです。
 結局、子どもの性虐待を描いたポルノは、子どもを性的な道具として見たいという、少数の、特別な「趣味」を持った人のためのものです。その「趣味」のために、そして、一部の出版社や作家の商売のために、保護されるべき多くの子どもたちの健全な発育が脅かされています。
 「東京都という権力が、規制と許容の線引きをするのが心配だ」という方もいますが、実は一番弱いのは子どもたちです。マンガを措くペンを持っている人たちは、大きな権力を持っています。ペンは、子どもをどんな風にも扱える。現行の条例をすり抜けて、子どもたちを脅かすペンによる暴力やペンによる搾取の現実は、世の中の多くの人たちの想像を超えています。「こんなのが売られているんですよ」と見せると、みなさん驚かれます。
 決して芸術や文学作品を窒息させるわけではない。子どもの性虐待を描いたポルノが、子どもたちが容易に手に取ることが出来る場所に漏れ出している現状を、もう一度みんなで考えてみよう。今回の都の条例案は、そういうきっかけを与えてくれるチャンスだと思います。

×子どもの性避けられぬテーマ
                マンガ家
                竹宮恵子

 東京都の「非実在青少年」関連の改正案を読んで、これだと、私の「風と木の詩」は丸ごとひっかかってくるなと、まず思いました。
 この作品は、性愛そのものをテーマにしています。描き始めたのは、1976年ですが、それまで女の子の性にかかわる事柄というのは、ほとんど隠され、きちんとした性教育がなされていなかった。かといって親から子には教えにくい。そんな問題を少女たちに伝えたい、考えても
らいたいと思って措いたんです。
 ですから、主人公たちは、13歳から16歳くらいですし、読者の想定も14歳くらいが中心。純愛もありますが、性的な堕落も、虐待も出てくる。都条例改正案の問題視する暴力とかかわる性描写が、これでもかとばかり登場します。どうしても描きたかったテーマでした。それは、現実に起こりうることだから。
 幸い、「風と木の詩」は、多くの読者の共感を得ることができました。心理学者の河合隼雄先生からは「女性性に疑問を持つ少女期に、内的な世界を持った女性が『風と木の詩』を読むことは、救いになる」との評価もいただきました。
 構想してから掲載£でに、7年かかりました。最初は、編集部もクレームを恐れ腰が引けていたんです。今回、都は「ポルノだけを対象としているので、大部分のマンガはだいじょうぶ」と説明していましたが、条文がこの先、どう独り歩きするかば分かりません。
 将来、どこかの図書館員が気を回して「これは、少年の性描写があるから、子どもの目に触れない閉架に収めた方が、後難がなくて安心できる」と考えるかもしれないし、書店の経営者が「こんな、子どもが性暴力にさらされているマンガを並べていて、万が一にも摘発を受けたら大変だ」と、版元に送り返してし事つかもしれない。条例化するということは、そういう杓子定規な対応を呼び込んでしまいかねない。
 マンガは、子どもたちに寄り添うカウンターカルチャー(対抗文化)です。大人の権威や文化が軽んじてきたもの、うさん臭く思ってきた領域に突進するのが持ち味。そして、子どもの性や欲望は、読者の自意識や生き方と深くかかわる問題として、マンガが追求すべき大きなテーマになりました。そこに規制がかかることは、マンガ表現が窮屈になるだけでなく、文化としての根っこが失われる恐れがある。
 性の現実そのものが、特に女性にとっては、暴力性と不可分なものですし、男性にとっては過剰に享楽的なこともあるでしょう。親御さんたちの、自分の子どもは、なるべくそういうものに触れさせたくない、無垢なままで、というお気持ちは分かります。でも、汚れた、危険な現実にブタをして、全く触れさせないのが、子どもたちにとっていいこととは思えないのです。
 多くの子は、禁止するとよけいに読もうとするものですし、しかし、もっと恐ろしいのは、荒くれた現実を知らず、18歳まで無菌状態でいて、いきなり汚濁の中に放り込まれることです。性や暴力の問題は、被害者や加害者の口から学ぶことが難しい。現実に体験したら、それこそ大変! 虚構の形を通してでも、知っておくことが大切です。
 「風と木の詩」は、お母さんが
「これは、あなたにはまだ早すぎるから読んじゃだめよ」と軽く釘を刺しっつ、手に届くところに置いておく。娘さんは背伸びをしている自覚を持って、こっそりと読む、そういう伝わり方が理想です。
 何もかも野放図でいいとは、私も考えてはいません。露出度の高い、刺激の強いマンガは、それだけで売れてしまいます。出版社や作者が、その図式に安易にのっかってしまうと、マンガの、表現としての可能性を自ら狭めてしまう結果となる。
 ただ、現状が十分かどうかの議論はあるにしても、すでに規制はあって、成人向けとされた本は子どもたちの目に触れないよう売り場を変えたり、帯を付けたり、発行部数を制限したり、工夫はしているのです。
 個々に行き過ぎた作品があるとしたら、新たな法律や条例をつくるのではなく、描く側、出版する側が、教育関係者や父母の代表の方々とこれまで以上に真摯に話し合い、現実的な対応策を探る。そんな方法も可能なのではないでしょうか。

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